一念発起のH.I.君、でもその後も決して順風満帆ではありませんでした。
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新年から私の人生は変わった。フラフラしていて、どこかだらしのない「私」を変えようと思い、新年からは明るく元気で、
毎日を充実に使い、遊びをしばらく封印して、強く生きていくことを心掛けた。
「どうしようもないH.I.」から「しっかりしたH.I.」になろうと頑張ったのだ。
塾での態度も変えた。豆にMATHカード、単語カードを作り、学校中、または家に帰ってから
その日にやった教材を夜遅くに復習した。
私は、自分が変わるにはまず、習慣と生活を変えないといけないと思った。
当然、新しい習慣に慣れるのには時間がかかったし、遊び好きで三日坊主の私には、辛い試練だった。
だから私はまず、楽な事から工夫をした。
例えば大好きなコーラを週一回に押さえたり、毎朝「今日もいい日になるぞ!」と明るく一日を始めたり、
毎晩どんなに疲れても、腹筋・腕立てx 100の運動を続けたりした。
そして徐々にハードルを上げて、勉強の方向へと持っていった。
気づくと、今までのハードルと更に、単語・MATHカードの復習や、教材のやり直しを自由時間で自然としていた。
単語・MATHカードをやらないと、スッキリしない時もあったくらいだ。
このモチベーションを下げないためにも、携帯電話の待ちうけ画像を
「打倒慶應!SAT ・1930 TOEFL・IBT 109」
と記した画像に変えた。
ある日、アキ先生と友達に言われた。「ヒロキ、おまえ変わったな」、
「なんていうの、明るくなったというか、落ち着いたというか、頑張ってるね!」と。
素直にうれしかった。ちゃんと少しずつ変われているのだと実感できた。
人はいくらでも変われる。
努力、日々の態度、そして気持ちしだいで人生も変わる。
人生を充実した楽しいものにするか、空っぽでつまらないものにするかは、自分の努力しだいだ。
頑張れば頑張るほど、絶対に後々結果は出る。頑張れる人間は、強い、そして本当にかっこいい。
新年からの「私」と私の人生は、本当に毎日が気持ちよく、勉強ばかりなのにも関わらず楽しかった。
そして何よりも、頑張っている「自分」が好きだった。
やっと私は、私の人生を少し、私の力で良い方向へコントロールできたような気がした。
新年からの真面目な勉強で、私のあいまいだった知識は、確かな知識へと進化していった。
今まで何回も間違えた問題も解けるようになり、MATHもカードにした問題を間違えないようになった。
今までの勉強法では無理だった「確かな知識」が身についてきたのだ。
単語も、辞書なしで分かる事が増え、現地校でも英語の先生の言う難しい単語が分かるようになった。
これこそ本当の勉強なのだろう。
問題が100%わかるまで何回も解き、どんなにやっても、「もっとやらないとダメだ」と思い続ける精神。
自分の限界を知ったから、もっとレベル・アップするように努力をし、
自分より上の人がいれば、悔しいからもっと勉強をする。
本当に勉強が出来ている時は、東洋が面倒くさくて、辛いのではなく、自分に必要で、行きたいから行くのだ。
友達や遊びの前に、東洋が自然と最優先される思考があってこそ、本当に勉強をする体制が整えていると、私は思う。
4ヶ月間、徐々に勉強のペースを上げて私は5月のSATに挑んだ。
結果は1770だった。
朝の2時にこれを見たとき、自分の目を疑った。
新年からあれほど毎日勉強をしてきたのに、点が上がっていない・・しばらく頭の中が真っ白だった。
今までの努力は無意味だったのかとも疑った。
そして4月に受けた2回目のTOEFL・IBTの結果も出た。94。
更にショックだ。そして今までの努力の「自信」というものが少しずつ砕け散った。
何をしていいのか分からなくなった私は、2日ほど塾を休んだ。
あと1回しかSATがないと焦りまくっていた。
すると、牧野先生からメールがきた。
「ここが勝負どころだぞ!自分を疑ったり、不安になってる暇はない。今、おまえの邪魔をしてるのはおまえだ!
最後まで自分を信じて頑張れ!二十歳になったら一緒に酒のもうぜ。」
私はこのメールに素直に励まされ、勇気づけられた。
とりあえず結果の事は忘れて、もっと勉強する事にした。
最後のSATは3週間後。そして3回目のTOEFL・IBTは1週間後だった。
この状況をK.C.先輩風に言うと、ピンチだ。
それから私は単語を少し増やして、自信などないままTOEFL・IBTを受けた。
しかしこのTOEFLでは運命を感じた。なんと会場とその風景が正夢になったのだ。
なにも根拠はないが、点が出る!と確信できた。
最後のSATの一週間前に結果が出た。109。
目標達成だ。点をパソコンで見た時、素で「F☆CK YESSS!!!!!!!!」と叫んだ。
109は、高校で四年間続け、キャプテンまでしたクロカンが終わった時並の、感動と達成感があった。
大きくて重い荷物を一つ、降ろせた気分だった。
親も先生達も喜んでくれ、残るは最後のSATだった。
TOEFLのことを忘れても良くなった私は、残る2週間を全力でSAT勉強に専念することができた。
私のSATの課題はWRITINGの基礎問題・READINGのセンコン、そしてMATHのうっかり間違いだった。
ESSAYで10を取れても、普通のWRITINGの問題で間違いが多いと意味が無い。
500点代で終わってしまう。MATHも2,3問のうっかり間違いで690~730の間をさまよってしまう。
READINGはいつも560くらいだったが、センコンの間違いが目立っていた。
私は改善法として、センコンの正解率を上げるために、新たに単語をその週に1000個覚えた。
マジで1000個だ。
MATHはひたすら牧野先生に頼んでPACKETをやった。(MATHマラソン2回の合計41パケ。)
さらにWRITINGはK君と共にSATの本から問題を何十枚もコピーして解いた。
松村先生にも頼んで、WRITINGパケットを50ページ分作ってもらった。
そして間違えた所を徹底的に分析した。接主動語句だ。
同じパケットをSAT本番前に全部やり直して、全体でマイナス4にまで抑えれるようになった。
しかし、勉強に集中しすぎ、TOEFLの点が出たからと気を抜いていたせいか、試験の三日前に私は風邪を引いた。
最悪だ。行かないといけなかったアキ先生の授業にも、結局出席できなかった(すみませんでした。)
しかしその週、私はMATHの模試で8回中、2回800点をだせた。
初めての800た。
おもわず笑顔がこぼれた。
やっと800点を取るだけの力がついたと、自信を持てた。
そしてセンコンもWRITINGも、できるだけの事はやったので、それなりに自信があった。
風邪を薬で抑えながらだが、SATとの最終決戦に挑んだ。
最後のSATを受け終わった時、頭が破裂しそうな痛みがあったが、すべてを出し切った気がした。
結果は1870。
目標点には達さなかったが、心から、BANZAI (B’z)だ。
本当に最後に、ギリギリ点が出て良かった。まさに、B’z のギリギリCHOPだ。(笑)
そして高校の卒業式、私はこの半年間の辛さと努力が、無駄ではなかったことを心から感じた。
卒業式は、今までの出来事、経験、努力、すべてを思い返し、最高に気持ちいい時間を過ごせた。
私はその瞬間、人生はまだまだこれからだと、強く希望を持てた。
他の体験談を読んでもわかると思うが、自分で、「このままじゃダメだ」という危機感を感じてからやっと、
勉強を真面目にやる人が多い。
そして半年か、もしくはそれ以上の継続した努力でようやく結果がギリギリでる。
まだ時間がある人、それかまだ頑張れ切れていない人は、私のようにすっきり、
笑顔で高校を終わらせられるように、今からでも「頑張って」欲しい。
私はギリギリ点が出たから良かったが、まだ時間に余裕のある人は私のようなギリギリな経験をして欲しくない。
毎日学校で「マジつまんね~」とか言いながらダラダラなにもしないよりは、何かに本気で打ち込んで
頑張った方が格段に気持ちいいし、かっこいいはずだ。
頑張れば、結果はついてくる。
どの体験談を読んでも、皆そう書いてある。
別に受験勉強がすべてだとは言わないが、もし人生を懸けられる程の趣味も夢もないのなら、
後でたくさんのCHOICEが自分にあるように、ちょくちょく努力をしてみてはどうだろうか?
受験勉強を、人生のスタート地点にしてみてはどうだろうか?