I.Y.君 現地試験編

夏になった。

学校とSATから解放され、やっと自由だと思ったのに・・・
新たな壁が立ちはだかった。

慶應義塾大学を受験する際、面接と小論があるのだ。

「どうしよう・・・やばいなぁこりゃー、小論書くため漢字とか覚えなきゃいけないわ」といいつつも、
正直まったく危機感を感じてはいなかった。

悔しい思いをしたとはいえ、私はSATの目標点数であった1800点以上を取ったことから、
本気になればなんとかなると思うようになってしまっていたからだ。

 

夏の間は、朝から塾が始まることになった。

9時に最初のクラスが始まり、3時30分に授業が終わる。

はじめの1ヶ月は松村先生が作ったカリキュラムどおり英語、小論、そして国語をのんびり勉強していた。

四人で(H、C、Y、松村)冗談をいいながら楽しい毎日を送っていたがやはり、
時間というものは進むのが早く、いつの間にか日本出発まで2ヶ月を切っていた。

 

そして、私の日本行きが8月27日に決まった。

 

ある日突然、松村先生が私達の日本語力に不安を感じ、小論を徹底的にやることを決断した。

それから毎日二回違う小論のお題を出され、三人でアイディアを出し合って
ひとつの小論を完成させていた。

しかし、三人で力を合わせても小論を書くことが出来ないこともあった。

出されては書き出されては書きという毎日を繰り返しているうちに、最高傑作が生れた。

どんなお題が出されても絶対に使用することの出来る文章が出来上がったのだ。

 

この最高傑作が生れてからは、勉強方法が変わり個人の力だけで小論を書くようになっていた。

といってもまだ、OKがもらえるような小論文を書くことが出来なかった。

結局私は最後まで小論文でOKをもらうことはなかった。

 

八月二十七日、アメリカから日本に飛び立った。

日本には、電子辞書、鉛筆(三本)、消しゴム、フォルダー、腕時計、スーツ(上下)、
ネクタイ、革靴、パソコン、本(二冊)を持っていった。

 

総合政策学部の試験までは2週間ほどある。

日本についたら毎日勉強するぞと心に決め、日本に入国した。

しかし、現実は思いどおりにはいかず、日本の魅力に負け、ダラダラ過ごしてしまっていた。

その生活を見ていた母親がブチキレ、私を祖母の家に無理やりつれていった。

私の祖母は昔教師をやっており、とても厳しい人である。

私は、勉強のことで祖母とケンカをして家出をしたことまであるのだ。

そんな祖母の家に連れてこられ、母が言った一言で火がついた。

 

「もしこのまま、小論の勉強をしないで、慶應落ちたら一生この家で暮らしてもらうから。」

 

「こんな家に一生いれるわけないし!精神的にもたねえ。」

最大の危機感を感じながら、小論の勉強を始めた。

書いたらすぐに祖母に見せ、日本語を磨いた。

この時だけは、祖母の言う通りにし、頑張った。

 

ついに、慶應義塾大学の第一次合格発表の日になった。

私はまだ祖母の家におり、インターネットで結果を見ることになった。

普段11時位まで寝ているのに、こういう日に限って朝早く起きてしまうのだ。

10時30分に結果が発表される。

それまで1時間以上あったので、YOUTUBEでクレヨンしんちゃんを見ていた。

 

10時30分になった。

 

サイトを開き、受験番号を手に持って画面とにらめっこをしていた。

「ど・・・どうだった?」と祖母が横で囁き、なんだか私より緊張していたようだった。

一番始めに法学部を調べた。

 

残念ながら・・・・という文を見てドキッっとした。

 

もしかしたら、このまま全部残念という可能性もあるんじゃないか。

次に、総合政策学部を調べた。

 

おめでとうございます、第二次試験を受けて下さいという文が現われた。

 

この文を見た瞬間緊張の糸が解けたように、体中の力がぬけた。

「あと二つだ」とガッツポーズ。

祖母は「すごいすごい」といいながらどっかへ行ってしまった。

次に、商学部を調べた。おめでとうございます・・・・。

そして最後に経済学部を調べた。おめでとうございます・・・・。

 

第一志望であった経済学部の合格を見て、思わず「キターーーーーーーーーーーー」と大声で叫んでしまった。
(今思えばすごくはずかしいことをしたな・・と思います。笑)

 

結果発表がすみ、祖母と二人でお祝いにケーキを食べにいった。

ちなみに、結果発表の途中祖母はご先祖様に報告しに行っていたらしい(仏壇に・・・)。

祖母の家での勉強生活が終わり、新幹線に乗る直前、祖母に言われた言葉が今でも忘れない。

 

「Iは、もっと自分に自信をもちなさい。胸を張って。Iなら絶対大丈夫だよ。」

 

この言葉があってこそ、面接を乗り切れたのだと思う。

今なら祖母にも感謝ができる。ほんとにありがとう。

厳しかったのは私のためだったんだね。そして、あの時はゴメンネ・・・

 

試験まで残り2日間

 

「受験」は小論と面接の二つがある。

小論はなんとか書くことができるようになった。

問題は面接だった。

面接って何を聞かれるのだろうか。

どのように行われるのだろうか。

格好はどんなのがいいの。

礼儀正しくしないといけないのかな。

沢山の疑問が浮かび上がった。

こんなときすごく助けになったのが、友達、Hの存在だった。

日本で唯一連絡の取れる友達で、試験の前日に電話で面接の練習をしたり、
不安をぶつけあったりしました。

さらに、Hは去年と一昨年に面接で聞かれた質問が書いてある紙を持っており、
それを私に送ってくれた。

私は不安な気持ちを完璧になくすため、学部ごとの答えを書き出し、暗記した。そのあと、面接のシミュレーションを何度も繰り返したのは言うまでもない。

試験前日になった。朝迷子になったら試験に間に合わないかもしれないと思った私は湘南藤沢キャンパスを訪れた。色々な建物や表示を目印に道を覚えた。この日は、勉強せず、9時にねた。試験に着ていく服などを横に準備し、試験以外のことを考えながら眠りについた。

 

試験日

 

念のため、1時間ほど家を早く出た。

前日、下見をしたおかげで迷うことなく湘南藤沢キャンパスについた。

集合場所ですごく不安に感じたことが2つあった。

話し合う友達がいなかったことと自分一人だけスーツの上着を着ていなかったことだ。
(暑い日だったので、誰も着ないだろうと思って家に置いて来た)

周りの人達は日本の塾に通っていたようで、ほぼ全員がお互いを知っていた。

スーツに関しては、「クールビズだ。平気平気」と言い聞かせた。

 

不安のまま、試験会場であるミーティングルームに連れて行かれ、番号に分けられ、席についた。

 

およそ、60人(総合政策と環境情報合わせて)ほどいた。

このうちの数十人が落ちるのか。

俺より、頭の悪そうなやついるかなと周りを見ていた。

自分より頭の悪そうな人を探している最中、席一つ一つにあるマイクが気になった。

そういえば、・総合政策:論説/面接。と書いてあったのを思い出した。

もしかして、この部屋全員でディベートでもするの。

 

(心の声)「ヤベー絶対無理だ。」

 

(係)「それでは、学部長から学部紹介をしていただきます。」

 

学部長が入ってきた。

なんだか色々説明している。

でも、緊張しすぎてなんにも頭に入ってこない。

30分ほどで学部紹介が終わった。

 

いよいよ問題の論説が・・・・。

 

(係)「では、論説を始めたいと思います。」

(心の声)「あー・・終わった・・絶対無理だー・・。」

(係)「用紙をお配りいたしますので、私が開始というまで裏返さないで下さい。」

(心の声)「え?論説じゃないの?よかった!」

(係)「それでは、はじめて下さい。」

 

小論を書く時間が50分与えられた。

このとき出題された問題は、

「アメリカと日本の大学の違いを書いて下さい。あなたは日本の大学に行くことを前提に書いてください。」

でした。

 

開始から速攻で書き始める人もいたが、私は落ち着いてBRAIN STORMを行った。

しっかり時間をかけ、アイディアをまとめた。

そのおかげで、見直す時間が10分もあった。

 

小論を書き終わると昼休みだった。

次の試験(面接)までは1時間以上ある。

私的には、小論文が終わってからすぐ、次の試験の方がよかった。

なぜなら、緊張する時間が増えるし、話す相手がいないから緊張をほぐすことも出来ない。

私は結局一人で慶應大学の学食でSUBWAYを食べた。

私は食べ終えたあと一度だけ面接で聞かれるかもしれない質問に目を通し、
あとは音楽を聞いてリラックスすることに時間を費やした。

なんだか普段より長い昼休みだったと思う。

 

ついに面接の時間になった。

 

(係)「それでは、面接の方に移りたいと思います。面接では、12名を先にお連れし、
この最初の12名が終わったら、次の12名を迎えに来ます。
呼ばれなかった方達はこのミーティングルームで呼ばれるまでお待ち下さい。
最初の12名は、・・・・・。」

この時、私は5番目に呼ばれた。12人で一列に並び、違う階に移った。

慶應大学面接会場と書いてある看板が長い廊下の一番手前にあった。

部屋は6つあり、A・B・C・D・E・Fに分けられていた。

そして、私たちは看板の隣に用意されていた席に座らされた。

私は、緊張を隠すことが出来なかった。

手が振るえ、貧乏ゆすりが激しくなり、トイレにも行きたくなった。

 

(係)「では、最初の6名は、アルファベットが書いてあるカードを受け取り、そのままそのお部屋へお進み下さい。」

(心の声)「マジか・・・いきなりか・・俺最初か・・」

 

心臓ばくばく。止まる気配がない。長い廊下を歩き、私がもらったEの部屋に着いた。

 

ドアをコンコンっと叩いた。

ドアを開け60度くらいの礼をした。

 

「失礼します。」

席に向かい、席の隣で立ち。試験管(3人)の顔をチラッとみ、45度くらいの礼をした。

 

「受験番号08A9011のI.Y.です。よろしくお願いします。」

(試1)「どうぞ。」

 

席に座った。

 

(心の声)「何聞かれるかな。大丈夫かな。真ん中の人偉そうだな。なんかむかつく。(笑)」

 

(試1)「じゃー、さっそく質問なんだけど、他の学校に併願しているの。」

「はい、上智大学に併願しました。」

(試1)「はい、わかりました。では、もし上智大学と慶應大学両方受かったらどちらに入学しますか。」

「もちろん、慶應大学です。」

(試1)「慶應大学でも他の学部に併願しているの。」

「はい、商学部、経済学部、法学部にしました。」

(試1)「全部受かったらどこに行く。」

「総合政策学部です。」即座に試験官の目をみて答えた。(正直うそだ。)

(試1)「わかりました。では、Y君が書いた志望動機について話そうか。
えっと・・・Y君はNPO(ボランティア)に興味を持っているみたいだね。
それは、どうしてなのかな。」

「はい、以前日本に来日していたときの出来事なんですが、駅前で募金集めをしている人を見かけたのですが、
周りには人がおらず、よく見たら、その募金の人を中心に円が出来ていたのです。
アメリカでは、国民同士で助けあっているので、このような光景を見たことがなくとてもショックを受けました。
私の母国である日本にも国民同士の助け合いの精神を芽生えさせようと思いNPO活動が行われている総合政策学部に出願しました。」

(試1)「そっか、それは興味深いね。もし、キミなら募金を集めるためにどんな方法をとるの。」

「はい、ファンドレイジングという方法を使えば、募金があつめられるのではないかと思いました。」

(試1)「ファンドレイジングねぇ~。どんなファンドレイジングを日本でするの?」

(心の声)「え、そんなのしらねーよ。」

「はい、車を洗ったり、クリスマスになれば木を売ったりですかね。」

 

*そんなことを聞かれると思わなかったので、そのときパッと思いついたものを言った*

 

(試1)「なるほどね。でも成功すると思う。」

「成功すると思うというか、成功させます。」

(試2)「次は、5年後の話をしようか。5年後は何していると思う。」

「実はですね、祖母が通っている教会で神父様が貧しい国に行って人を助ける活動があるそうで、
そちらに参加しようと考えています。」

(試2)「ほぉー、自分の生活はどうするの。」

「最低限の食べ物と宿があれば、大丈夫です。」

(試2)「ってことは、やっぱりNPOをしていても暮していけないよね。
だって、常にボランティアしていたら仕事なんてするヒマないし。
君はどうするつもりなの。」

「・・・・確かに、NPOだけでは暮らしてはいけません。しかし、NPO活動を週末などにやり、
月曜日から金曜日はバイトをして生活費を稼ぎたいと思います。」

(試2)「でも、さっきどこか貧しい国に行ってボランティアするって言ってたけど、その国でもバイトとするつもりなの。
貧しいのならバイト見つからないかもしれないよ。しかも、言葉通じないだろうし。」

「大丈夫です。頑張ることだけがとりえなんで。」

(試3)「その割には、学校の成績悪いよね。(笑)」

「はい。総合の点数は低いかもしれません。私は、高校に入って、自分の力量をしらなかったため、
難しいクラスを沢山選択して、9年生で大きな失敗をしてしまいました。
しかし、学年が上がる度に自分の実力を知ることができ、11年生になったころにはオールAを取ることもできました。」

(試3)「本当だ。でもPRE-CALCはDだけど。」

「あ、PRE―CALCはサマーで取り直し、ちゃんとA取りました。」

(試3)「本当だ。」

(試1)「さっきの話に戻るんだけどね、ファンドレイジング以外の方法とかないの。

(心の声)「え・・・わかんない・・・」

「ファンドレイジング以外は想像つかなかったので調べてないんですが、家に帰ったら調べて見ます。」

(試1)「調べるの?もういっぱい調べて来ていたのかと思ったよ。」

 

面接は続く・・・・

 

最後に(試1)「まだ何か聞きたいことある。」

試験管2、3の方を向いて質問をした。

(試2、3)「いえ、ありません。」

(試1、2、3)「おつかれさま。」

 

「あ、ありがとうございました。」

礼をし、席を立った。ドアを開けた。

「失礼します。」

ドアを閉めた。

 

心臓の鼓動がとまらないまま、廊下を歩いていった。

順番を待っている受験生たちが驚いた顔をして、私をみた。

 

(受)「早!まだ10分しかたってないよ。」

「え・・マジかよ。」

(受)「ま、お疲れ。」

「おう、お前もガンバ。」

 

私は受験会場を後にした。

あとから知ったことだが、面接は普通15分から20分らしい。

つまり、「お疲れ」は嫌味だった。

でも、試験が終わった時は何より試験官が私を馬鹿にした態度で接していたことに怒りでいっぱいだった。

「こんな学校こっちから願い下げだ!」と思うくらいイライラしていた。

その日は不機嫌なまま家に帰った。

次の日が合格発表だったが、私はそんな日は眼中になく、慶應義塾大学の経済と商の面接に向け、
自分のうそ(面接についての答え)を固めた。(笑)

 

総合政策合格発表日・・・・九月十日

 

この日は、合格発表が三田キャンパス(駅、田町)である。

合格発表だからそんなに早く行く必要がない。

だから、普段より遅く家を出た。

横浜までは、順調に三田キャンパス(駅、田町)に向かっていたのだが、
横浜でJRに乗り換える際、大きなミスを犯した。

電車が来るのを待っているときに、売店でマガジンを買って、
確認せず止まった電車に乗り込んでしまったことだ。

電車の中で、パッっと止まる駅を確認したところ、町と田が見えたので安心してマガジンを読み始めた。

 

30分後・・・・・

 

(電)「町田です。町田。」

 

「あれ・・・町田だったっけ?田町じゃなかった?」

 

そこで、気がついたのです。

私は全く逆方向に行ってしまったのだ。

もし試験の日にこんなことをしていたら・・・と思うとゾッとした。

私は反対の電車に乗り、(本当は田町まで30分のところ)1時間かけて田町に着いた。

 

「こんな馬鹿・・受かるわけないよな。」

 

慶應大学受付の横に合格者が張りだされていた。

どうせ落ちてると思いながら自分の番号を探した。

 

「あれ、なんか見たことある番号が・・・」

 

確認するためかばんから自分の受験表を出した。

 

08A9011番。

 

「あった。あれ?ある。ほんとに?ある!」

 

私は何十回も番号を照らし合わせた。

そこで、ガッツポーズをし、手続きの資料をもらった。

昨日の怒りはいったいどこへ行ったのやら。私は背筋を伸ばし、誇らしげに帰った。

少し親を驚かそうと、しょんぼりした顔で家に入った。

 

「ただいま・・・・・」

(母)「お帰り、ど・・・・。大丈夫まだ二つも学部残ってるじゃん。」

「うん、そうだね。でも、俺受かったよ。(笑)」

(母)「ほんとに!?おめでとう。大丈夫だって思ったんだ。」

「うそだね、絶対に思ってなかったし。(笑)ありがとさん。あと二つも頑張るよ。」

 

その日の夜ご飯はとても豪華だった。

 

経済学部試験まで残り・・・6日 商学部試験まで残り・・・7日

 

経済学部の面接では数学の問題が出されることがあると聞いた。

ベクトル・関数などアメリカではCALCで習うレベルの数学だ。

しかし、私は数学をPREーCALCでやめ、ベクトルや関数を習う機会がなかったことから、勉強する必要があった。

知識がない0からのスタートだった。

まず、本屋へ行き、ベクトルや関数に関して書いてある参考書を探した。

次に本の中身を見て、自分が理解しやすいかを確認した。

理解しやすいのだけを選び、買った。

 

本を買い家に帰るまではやる気があった。

 

しかし、家に着き、いざ勉強を始めると、理解がまったくできない。

聞くことも出来ない。私は最終手段としてインターネットで調べてみた。

やはりわからない・・・。3日坊主どころか、3時間坊主である。

私は諦めた。

本当にでるか分からない問題のために勉強するより、絶対に出る面接と小論文の勉強に集中した。

 

面接の返答強化と小論のアイディア出しを繰り返した。

 

経済学部試験当日・三田キャンパス(5階)・慶應のキャンパスに行ったら
テスト会場の場所が書いてあるので心配ない。

 

この日、初めて「死ぬ」と思った。

東急線に乗り弘明寺駅を出た。

駅に止まるたびに大勢の人が乗り込む。

4駅ほど止まった頃には人が立てる場所がないほどいっぱい乗っていた。

この状態であと20分も立ってるのつらいなぁ・・・。汗も出てきた。

5番目の駅に止まった。電車が止まるとき恐怖を感じた。

大勢の人がこの電車に乗るために長い列を作っていた。

もう乗れないのに、どうするのだろう。

電車のドアが開いた。並んでいた人たちが迷いもなく電車の中に入りこんで来る。

これ以上無理だと思ってもまだ人は入ってくる。

私は隣の人とハグしているような状態の中立っていた。

 

次の駅についた。

 

また、大勢の人が並んでいる。

本当にこれ以上無理だと思ってもまだ人は入り続ける。

そして、20分後やっと田町に着いた。

電車を出たときにはクタクタで、今から試験を受ける受験生には見えなかったと思う。

 

クタクタの状態で試験を開始した。

小論文のお題は、

「最近国々で優れた頭脳を持つ人材集めの争奪戦が行われている。日本が遅れをとらないようにするにはどのようにすればようか意見を述べよ。」

(だったと思う・・・間違っていたらすいません。)

 

三田キャンパスと湘南キャンパスのテストの違いは面接の時に明らかになった。

大きな部屋に連れて行かれ、4人が同じ時に、同じ部屋で面接が行われる。

つまり、他の人が笑っているのや追い詰められているのが聞こえてくるのだ。

 

私は、部屋に入る前、神に願った。

「優しく、気が合う試験官でありますように。」

 

神に願いは通じなかった。

 

私の試験官はなんと、学部長だった。

経済学部の面接が始まった。

やはり、経済学部でも私の志望動機をベースに質問をしてくる。

15分ほど経ち、面接は終了した。

 

この日、印象に残ったのが、学部長からの質問で、「本の虫賞ってなんだい?」だった。

私が、朝日学園に通っていた時に頂いた賞で、本を沢山借りると貰えるものですと説明した。

(学部長)「どんな本を借りていたの?」

マンガや絵の書いてあった本を沢山借りていた、など言えるはずもなく、とっさに出た言葉が神秘だった。

「はい、私は神秘的なものがすごく好きで、宇宙のことや霊関係の本を借りていました。」

(学部長)「そっかそっか、神秘的な本か。(笑)」

この話はこれで終わってしまったのだが、無表情だった学部長を笑わすことができたので、満足でした。(笑)

 

商学部試験まで残り・・・1日

 

(母)「明日ついに、最後の試験だね。」

「うん。まぁ・・・前の日に悪あがきしてもなんも変わらないから、今日はリラックスする。」

(母)「あっそ、私の見えないとこでしてね。見たらまた切れるから。」

「へいへい。」

 

私は部屋で、ダラダラ自分の好きなことをした。

 

商学部試験当日

 

この日、アラームがならなく、母に叩き起こされた。

(母)「いつまで寝てるの!?送れるよ。」

「でもまだアラーム鳴って・・・・あれ!?時計が止まってる!やべぇ」

 

大急ぎで着替え、歯を磨き、パンを口にくわえて走って家を出た。

まさに、遅刻したときのマンガに出てくるドタバタシーンのようだった。

何とか電車にも間に合い一息ついた。

この日は久しぶりに、試験会場に知り合いがいる。

それだけで、気持ちが楽になった。

 

試験会場に着き、席を探して着席した。

Hは私の前の席だった。

商学部の学部紹介が終わり、小論文のテストが行われた。

お題は、

「少子高齢化が現代に与える影響はなんだと思いますか。意見を述べなさい。」

 

私は、驚きを隠せなかった。

このお題は、前に東洋で書いたことがあり、しかも、暗記していた小論文のひとつだ。

今回は迷いもなく、暗記した小論文を書きだし、50分のうち、30分も残っていた。

見直しが何回も出来た。そのおかげで、間違いがないと言い切れるほど完璧に仕上がった。

 

お昼が終わり、面接の時間になった。

 

商学部の面接では、3人一組に分けられ、大きな部屋で同じときに面接が行われる。

もちろん、試験官は違うが、同じ時なので、経済学部の時と同じように笑い声やシーンとした空気を感じてしまう。

私はH君と同じグループだったので、同じ部屋で試験を受けることとなった。

 

商学部でも話のベースは志望動機で、多くの質問が私が書いた志望動機から問われる。

しかし、この頃になると、面接にも慣れ、私の得意な話に持っていく技術を身につけていた。

質問され、答え、次の質問をされる前に、あたかも前の質問と関連しているように見せかけ、
全く関係ない話を持ちかけ、自分をアピールした。

私は面接官と冗談を交えながら話すことができ、とても充実した時間を過ごすことができた。

 

(心の声)「お、コレはいい方向にいってるわ、絶対受かった。Hはどうしてるのかな。」

 

私は話を聞いているふりをして、Tの方に耳を傾けた。

なんだか難しそうな質問をされている。

 

(心の声)「かわいそうだな・・まっ、Hなら大丈夫だろ。」

 

私は自分の面接に集中した。

 

(面1)「商学部にはなんで併願したの。」

「はい、私の知り合いに会計士の仕事をしている方がいまして、その人がすごく仕事を楽しんでいて、
会計士になることを勧められたので、会計の勉強が出来る商学部に併願しました。
それに、バイリンガルなので、国際的にも活躍したいと思い、国際会計士をめざしたいと思っています。」

(面1)「なるほどね、国際会計士か、でもさ、国際的に活躍するんだったら、弁護士とかでもいいんじゃないの?」

「確かに弁護士でも国際的には活躍できるのですが、私の中で、弁護士は人の悪事を見つけだしたり、
憎み合いの世界で生きている方々というイメージがあり、そういった憎み合いの世界では働きたくないと思ったので、
会計士の道を選びました。」

 

(面1)「あーだから、小論文でも「平和」ってよく使ってたんだ。なるほどなるほど。」

(面2)「平和がすきなんだね。じゃー平和を愛するY君、自分をアピールしてください。(笑)」

 

「私は、緊張していなければいつも笑っていて、常に人を笑わせているような人です。
あと、自分で言うのははずかしいんですが、よく友達に相談されることがあって、
頼られる存在だと思っております。」

 

(面2)「あははは、今でも十分面白いですよ。頼られる存在かーすごいね。」

「テニス部に入っていた時も、コーチにすごく頼られていて・・・・」とテニスの話に持っていった。

などなど・・・・面接はこのように続く。

 

商学部は他の学部と違い、再面接がある。

最初の面接管が再面接かどうかを判断するのだ。

そのため、面接が終わっても、面接室の前にある席に3人全員が終わるまで座らされ、
全員が終わってから再面接の人が発表される。

全員が終わり、再面接が発表された。

(係)「えっと、番号が・・・・の人。」

(H)「はい」

(係)「私についてきてください。」

(H)「分かりました。」

(係)「あとのおふた方は終了です、お疲れ様でした。」

(二人)「ありがとうございました。」

私の面接が修了し、45分後にHが出てきた。

「どうだった?」

(H)「なんか、違う階につれていかれて、また大きな部屋があって、そこで面接した。

今度は、一人ずつで、同じようなことをもう一度聞かれただけだった。」

「そっかそっか、なら大丈夫でしょ。じゃー遊びに行こうぜ。」

 

私は、HとHの友達二人と秋葉原に遊びに行った。

そこで何をしたかは、秘密です。(笑)

 

合格発表まで5日ある。

私は思いっきり羽を伸ばしていた。

もし、経済と商が落ちていても、SFCがすでに合格していたので、気持ちがとても楽だった。

 

合格発表の日、私はのんびり慶應へ向かっていた。

すると、東洋で同じだった負けず嫌いのTさんに会い、ビックリすることを言われた。

Tさんは合格発表を見た帰りみたいだった。

 

(T)「なんで、あんたが商学部受かって私が落ちるんだよ、ほんと死ねって感じ。」

「え・・・死ねって・・・法は?」

(T)「受かったけど、私法行きたくない。多分東洋には全部落ちたって伝える。」

「あっそ。まぁ・・ここまで来たし俺も合格発表見てくるわ。じゃな。」

 

変わってる子もいるんだな。なんか「死ね」とかひどいなぁ・・・と思いながら、慶應大学に着いた。

合格者の受験番号がプリントされている紙が張り出されていた。

着いた時に偶然Hと会い、一緒に合格発表を見た。

二人とも商学部合格。さらにHは法学部も受かっていた。

すごくうれしそうに、「よかった・・もし落ちてたらどうしようって思ったよ・・・」っとため息。

このとき、経済学部の合格者の中に私の番号がなかった。

そこまで悔しくはなかった。なぜだろう。

多分、精一杯やったから、悔いがなかったのだろう。

半年間、必死に勉強したからこそ、感じることの出来た気持ちなんだと思う。

 

半年前まで私は、「勉強」することが出来なかった。

しかし、塾に通うことで自分で考える力を得ることができ、自分の殻を破った。

すると、考えるようになってから少しずつ「勉強」ができるようになっていった。

考える力というのは、大学面接で非常に大切な役割をする。

面接では、いつ、何を聞かれるかわからない。

その時の返答だけで合否が決まってしまうこともある。

 

私の経験と体験から、東洋という塾は、

1.物事を深く考えさせ、

2.人間性を鍛えなおすことができ、

3.頑張ればきっといいことがあると教えてくれる塾だと思う。

 

勉強という「物」は、自分がやる気を出さない限り伸びるものではない。

人は諦めなければ、絶対に成功する力を持っている。

無理と思い、その力を自分で閉ざしてしまっているだけだ。

みんなには頑張ればきっと叶うと信じ、未来へ突き進んで欲しい。

 

努力は人を絶対に裏切ることはないから・・・

 

I.Y.君 SAT編

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