I.Y.君 SAT編

私から見たらセンスはいいのに、なぜか自分に自信を持ち切れなかったI.Y.君。

センスがいいが故に求めるものが高すぎて、逆に自分を縛ってしまい、だから最初の一歩が踏み出せないという生徒でした。

でも、SATの受験を通して、自分の殻を破ります。

 

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「努力は人を裏切らない」

 

私は十七歳になり、大学の進路を決める時期になった。

しかし、私が進路に無関心だと思った両親が無理やり、東洋に入塾させた。

この日から、私の眠れぬ日々が始まったのだ。

 

大学に進むため絶対に必要なSATは、 英語が苦手な私にとって、大きな壁であった。

確かに私はアメリカで生まれ育っているが、英語が苦手だ。

幼い頃から私は英語を話すのを嫌い、日本人の友達としか遊ぶことがなかった。

学校では、自分から意見を述べることがなく、しずかな子だと思われていた。

しかし、実際はまったくの逆で、思ったことはなんでも口に出し、
話すのが大好きな少年なのだ。

英語を避けるような生活をずっと続けてきたせいか、英語力は日本人と変わらない。

もし、アメリカ人の中にいれば、 日本から来日した日本人と同じように疎外感を感じていた。

そのような生活からあと一年で抜け出せると思った矢先に、
SATという大きな壁が光の道を閉ざしたのだ。

 

私は昔から無駄にプライドが高く、人に自分の弱い所を見せるのを嫌った。

特に英語が苦手だということを隠すために必死に勉強をしていた。

さらに、私は頭が悪 く、「普通」にもほど遠い頭脳を持っていたため、
人の倍以上勉強をしていた。

学校では、「俺が勉強なんてするわけないじゃん」と強がってはいたが、
家に帰れば寝るまで勉強していることが多かった。

しかし、どれだけ勉強をしても「普通」にしかなれなかった。

学校の勉強だけでこんなに苦戦している私にSATの勉強までする時間がない。

でも、やはり塾にいる人に馬鹿だと思われたくない、という一心で最低限の勉強をした。

寝るのは毎日2時だった。

 

1日の3/4を勉強に費やし、限界ぎりぎりで必死に勉強を繰り返した。

十一月、十二月と月日が流れてゆき、私の運命を大きく変えた日がやって来た。

十二月SATの結果発表の日である。

私は心の中で、二ヶ月も勉強した、限界ぎりぎりで頑張ったんだと思いながらその日を迎えた。

なぜか、その日は朝早くに目が覚め、朝3時に結果を見ることになった。

震える手でCOLLEGEBOARD.COMを一字一字キーボードに打ち込んだ。

打ち込む度、心臓の鼓動が早くなり、手に汗が滲み出ていた。

 

*READING 450 MATH 620 WRITING 540 合計1610*

 

「何これ・・これ俺のスコア?」頭が真っ白になった。

なぜか不思議と涙があふれ、涙が頬を通り、ズボンに流れ落ちていった。

果たして私が今までしてきたことは、自分の中での限界だったのだろうか・・・?

意味がある勉強をしていたのだろうか・・・?

今のままでいいのだろうか・・・と考えながら眠りについてしまったことを今でも覚えてる。

 

次に目をさましたのは、時計のアラームが鳴った時だった。

すべてを一から始める決意をして、ベッドを降りた。

その日は学校に行かず、今まで自分がとって来た すべての行動を思い出せる限り書き出した。

この行動は果たして正しいのだろうか。

必要なのだろうか。

「行動」一つ一つにつきこの質問を繰り返した。

答えを出しているうちに、気が付いたことが一つある。

私は別に優先順位を間違っていたわけではなかった。

 

それなら、どこに問題があったのだろうか・・・(この時、人生で始めて物事を深く考えた気がする・・・(笑))

考えた末に出た結果、私は「勉強」の意味を理解していなかったのだと考えた。

 

勉強とは、自分の知らない事を覚え、解く行動のことで、
すでに知っていることに時間をついやすのは勉強ではない。

それはただの復習である。

 

無駄な時間をなくすため、自分なりの勉強法を考えた。

まず、READING・WRITING・MATHでわからない部分をを書き出した。
(わからない部分は今までカードを作ったり、間違った問題を切り出していた。)

そして、カレンダーを作ってその日一日をどのようにわからない部分の
役に立てるかのノルマを作成した。

例えば、22日はWRITINGで文頭が~EDや~INGなどで始まり、主語がなく、
コンマで前文と後文に分けられているとき、どのように文を解釈したいいかを
完璧にマスターする。

MATHは、パケットを5個終わらせる。

READINGはVOCABを20個覚えること。

などとノルマを書き入れるのだ。

このようにノルマがあるとなんだかやる気が出た。

もちろん、ノルマを達成できない日もある。

そのようなときは自分なりに罰を与えた。

例えば、夜ご飯の後片付けをみんなの分もやるなどなど・・・

 

この日から、私は自分が作り出したカレンダーどおりに勉強をし、無駄をなくした。

すると、みるみる成績が伸びるようになった。

っと言ってもその時、成績が伸びたのは数学だけでしたが・・・(笑)
(学校ではオールAを取れるようになっていた)

牧野先生が土曜日に出す数学の模試で、ミスはほぼ毎回全体の2~3個まで抑えられるようになっていた。

ちょっと前までの「勉強」の方法だったら絶対に見ることのできなかった点数だ。

 

この調子で伸ばしていこう!と思ったときにはもう、最後のSATの時を迎えていた。

 

6月SATの一週間前、大きな賭けをした。

今までずっと勉強し続けても上がらなかったREADINGを勉強するより、
上がる見込みのあるWRITINGだけを勉強することだった。

最後のSATではあるが、賭けてみることにしたのだ。東洋にあるSAT本を(WRITING SECTION)
毎日一冊ずつ終わらせるペースでやり続けた。

その結果、SAT前日、WRITING SECTIONをやっている時に、「あ、こんな文の時はこんなミスが多いな」
と分かるくらいまでになっていた。

私のだした決断が正しいものだったかは、わからない。

しかし、WRITINGだけを勉強したかいがあったのは確かだ

 

6月SAT*READING 460  MATH 750 WRITING 620 合計1830*

 

私は最後のSATで数学を十二月と比べ130点、WRITINHは80点あげることができた。

先生方には「よぉー頑張った」(牧野)や「すごいじゃん!」(松村)や
「おめでとう」(杉山)と言われたが、本当はすごく悔しかった。

もっと時間さえあれば・・もっと早くに本気になっていれば・・(MATH)800も取れただろうし、
6月に出た点数よりももっといい点数を取れた・・・と何度も思った。

それが一番の後悔だ。

今現在、東洋に通っている人達はまだ時間がある。

今からでも遅くない。

自分にあった勉強法を見つけて、東洋の授業を受ければきっと点数ももっと上がる。

俺が最後の点数を見て、感じた喜びの裏にあった悔しさを皆には体験してほしくない。

だから、悔いのないようちゃんと考えて勉強して欲しい。

 

I.Y.君 現地試験編

 

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