N.M.君 SAT編

私は、この一年間で、数学満点を取れた。

東洋に来た当初、私はSAT・Mathというものを深く理解しておらず、過小評価していた。

マイナスの数は、多少気になったが、改善しようという気にはならなかった。

そして、初めて受けたSATのスコアの低さに落胆し、少しずつ改善を試みた。

 

中学受験レベルのMathは、日本語であれば、日本で中学受験に備えていた私にとって簡単であるはずなのに、

微妙なニュアンスや、単位、読み違いなどのミスにより満点を逃していた。

まず改善しようと思い、行ったことは、単位や重要な言葉に下線を引くということだ。

しかし、それでもやはりケアレスミスは出た。

そして、最終兵器として牧野先生が、われわれに与えた課題は、Mathのパケットを70個(合計約2000問)、

しかもそれを2週間以内に終わらせるというものだ。

 

私は毎日5,6個する程度であったが、SATも迫り、その前に何とか終わらせたいと思った私は、

木曜日1日で、52番から70番までやろうと決めた。

 

1時30分に始めた私は、少しずつ、少しずつ進め、マイナス1に留めるよう懸命にやっていたら、

全問正解を4連続でとり、すごく驚いた。

 

後半に入り、まず目が霞み、そして問題を読んでも頭に入り辛くなり、何度も読み返すことが増えた。

そして、最終的には、吐き気もしてきた。

もう限界だとさえ思ったが、数学で満点を取りたいという思いが勝り、ついに70番まで終えることが出来た。

その後、牧野先生がラーメンをご馳走してくれるとおっしゃったが、吐き気がひどく、

食べ物を入れられる状態ではなかった。

そして、その甲斐あって、翌々日のSATでは数学満点をとることが出来た。

やはり、あの19個やったという事実が自信となり、800点へと導いてくれたものと思う。

ケアレスミスは自分の甘さから来ていると、私は思う。

その甘さを乗り越えるために、私は自分の限界まで数学をした。

一度800点を取ったものの、気を抜くわけにはいかなかった。

なぜなら、英語が伸びてきたときに数学が下がって総合点が下がったら意味がないからだ。

そして、切り貼りをした問題の復習を続けた。

すると、その次のSATでも満点をとることが出来た。

その時は、総合点でも事項最高を更新し、最後の追い込みに向け、更に気を引き締めることが出来た。

入塾してから、英語は松村先生に教えて頂いた。

当初、私は授業に出席するだけで、ノートもろくに取っていなかった。

しかし、単語大会で五週連続勝ち抜けば、10ドルの商品券がもらえるという話を聞き、単語の勉強を始めた。

今まで、どうせ覚えられないだろうと忌み嫌っていた単語を毎日少しずつ覚えるようにしたところ、

気が付けば、単語大会でYちゃんやAに並ぶようになっていた。

それが自信にもなり、単語は意欲的に取り組むようになった。

 

それだけで、少しずつ点数が上がってしまったので、自分の努力や勉強は、

こんなものでよいのかと思い込んでしまった。

 

それに、私の一つ上の先輩方は入塾が比較的遅く、それでもAランクの学校へ合格したという話を聞き、

彼らより半年も早く入塾した自分は大丈夫だろうという二つの思い込みにより、怠惰な勉強生活を送ってしまった。

それからある程度過ぎた頃、先輩と話せる機会があり、私は驚愕の事実を知った。

彼女は、一日の大半を受験勉強に費やし、期間は短くとも、密度の濃い勉強をしていたというのだ。

私の薄っぺらく過ごしてきた過去が、とても恥ずかしくなった。

 

それと、もう一つ私を変えたものは、ライバルの存在だ。

 

私は東洋に来る前、他塾で勉強していた。

東洋に移ってからは、そのときの友達との付き合いはめっきり減ったが、

SAT会場で会えば話すという感じだった。

 

まあ、その話は置いといて、私と同期の友達の点数は、すごく高い人たちと、私を含めたまだまだ組がいた。

私は、Mathなどで稼いでいたので、下位の中では上位にいた。

YちゃんやR、Hちゃんは、別次元の人間だと決め付けていた。

 

ゆえにあまり必死になれなかった、というよりは、なろうとしなかったと表現した方が適切かもしれない。

そんなこんなしたある日、友達に誕生日のプレゼントを渡しに、前の塾に行き、プレゼントを渡し、

話をすると、そいつは頑張って400点アップしたと言った。

 

そいつは、地道に勉強してきたに違いない。

私は焦った。

もうSATを受けるチャンスはごくわずかしかないのに、何をしていたんだと、

何でこんな所に来るまで気付かなかったのか、と悔やんだ。

それでも出来る限りのことはしようと思い、Yちゃんに色々尋ねた。

すると、彼女はカバンを探り、一冊のノートを取り出した。

彼女は、ノートを開くと、どの問題が一番近いかなぁとつぶやきながら、おそらく今まで間違えたライティングや、

リーディングの問題であろうか、それをノート一杯に貼ってあるのが見えた。

 

そして、また推測であるが、この他にも同じようなノートがあるに違いないと思った。

そして私は、心の底から、Yちゃんや、この世の中にいる、いわゆる「頭の良い人」に感服した。

彼らは地道な作業を少しずつ積み重ね、今の学力にあるのだと。

それに比べ私は、彼らは元々頭が良かったのだと卑屈になり、努力を続けなかった。

今からでは遅いとか、結局自分には出来ないとか無駄なことは考えずに、周りに「何か生き急いでない?」と言われても、

いけるところまで頑張ろうと決心した。

 

間違った問題は必ず切り貼りし、東洋で出された以外にも参考書を生まれて初めて買い、一週間でやり、

ライティングの問題を東洋から借りて自習した。

 

こんな付け焼刃で点数が上がるとは思わなかったが、それでも自分の最高点を限界まで、まだまだやれる、

まだ負けないと、自分なりに頑張った。

 

そのとき、なぜか口ずさんでいたのはZARDの「負けないで」だ(笑)。

今まで勉強したことのないような時間まで勉強したり、自分を見つめ直せたりと、実に充実していたと思う。

時には、先生方から、叱咤激励していただいたことや、家族のサポートも心強かった。

 

6月のスコアも出て、実際あがってはいなかったが、私は、私を誇りに思う。

受験生なんだから当たり前という意見もあるであろうが、それでも肩を叩いてやりたい。

私が、もし一年前に戻れたとしたら、まず、人と自分を比べないようにすると思う。

この世は全くもって平等ではない。

国と国、人種と人種、家庭と家庭、すべてが違う、アメリカに住んでいる友達と共感できても、

背景や学力は必ず異なるはずだ。

 

ゆえに同一視してはならない。

 

自分の立ち位置を確認し、少しずつ歩いていくしかない。

歩かなくて目的地に着くということは、まずないだろう。

人によって立ち位置や歩行速度や一歩の大きさは違う。

周りから刺激を受けるのは一向に構わないが、自分には出来ないと卑屈にだけはなるまいと思う。

あとは、東洋の先生方の授業を一言一句漏らさずにノートし、単語を勉強しようと思う。

それから、自信が足りないときには19パケットやろうと思う。

もしくは、何でも良いから人に誇れるような伝説を作る。

 

そして、逃げないこと、すべてに正面から向かい合い、打破していこうと思う。

一年という期間は、長いが短い。

 

時間はいつでも一定に流れる、使わなくてはもったいないと気付いていたかった。

 

 

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