N.M.君 夏~受験篇

SATが6月に終わり、その後の合格発表までです。

合格が決まってから書かれたパートなので、文体がすごく明るくなっています。

 

 

私が志望していた学校は、SATやTOEFLなどの統一試験のほかに、小論文を面接があり、

6月のSATが終わってからはそっちのほうを重点的に勉強するようにしました。

様々な学校の過去問や、新聞から得た時事問題などから、小論を書き続けました。

書いていく上で、まず私がぶち当たった壁は、私の字がほかの人と比べ、極端に汚いと言うことでした。

小学生の頃から怒られたりとか、注意はされてきていたけど、いつも、くさいものには蓋っていう状況で、

逃げてばかりいました。

しかし、小論文はまず面接官に読んでもらわなければならず、やはり、自分でもきれいな字の方が

断然読みやすいと思ったので、とりあえず、東洋で一番字のきれいな、よーこ先生に聞くことにしました。

すると、彼女は字が汚いひとは、速く、弱く書く人が多い、と教えてくださいました。

私はそのどちらにも当てはまり、それらを改善しなくてはならないと感じました。

しかし、具体的になにをしたらいいのかわからなかった私は、とりあえず近くにいた牧野先生に

どう実践したらいいのかを聞きました。

すると、牧野先生は、そこらへんにある新聞の社説を800字(原稿用紙2枚分)写せ、そうすれば、

字を書く練習になり、かつ時事問題を勉強できるだろ、とおっしゃってくださり、

その日から早速やってみました。

当初私は、書く練習といっても簡単なことだろう考えていましたが、書いてみると右手にじわじわと

痛みが伝わってくるのがわかりました。

中指の先はペンを支え続けたがために真っ赤になり、右腕の筋はぴくぴくと痙攣を起こしたかのような

動きをし始め、書くことはこんなに大変なことだったのかと初めて気付きました。

確かに今まで連続で800字を、しかも力を込めてゆっくり原稿用紙に書くといったことは、

したことがなかったので衝撃でした。

それからは地道に社説を写していきましたが、字というものをだんだん分からなくなっていきました。

今まで避けてきた分、ツケがきてしまったのか、ひらがなや漢字、カタカナにいたるまで、

どの形がきちんとした形なのか、わからなくなってしまいました。

そのたびになんども同じ字を書き、納得のいくまでその字と格闘してました。

それで、なんとか一般の人にも読んでもらえる字には成長することができました。

 

字の次にぶちあたったのは、書き方です、

なんか、クラスでまわりと一緒に書くときでも、「しかし」とか「けれども」などを連発した所為で

直生=ネガティブ みたいなのが定着してしまいました。

まぁそれはさておき、小論で何が大変かというと、どう、話を広げ、それを収めるかといったことです。

これがまた難しい。まず話をどう広げていいのか分からなかった、そのことの背景には自分の

知識不足といった問題があり、それが故に、話をほかの事とつなげられなかった。

それで私は時事問題をインターネットや、新聞から更に収拾し、その背景にあることまでをも、

勉強するようにしました。

あとはうちにあった本とかを次々と読破し、それにより、知識もみにつくようになり、

話の幅も広げることが出来ました。

そして、徹夜勉強会で一晩中、小論を書き続け、体力の限界まで、精神力の限界まで達し、

小論に対する自信が付きました。

 

 

 

 

受験篇

東洋での受験勉強も8月の29日で終わり、30日に日本へと旅立ちました。

受験の日程は、まず、9月の5日に早稲田の共通試験があり、それに備えて勉強する必要がありました。

日本についてからも毎日自分が今まで書いてきた小論を読み直し、論の広げ方を忘れないようにしたり、

漢字のドリルをやりまくったり、あとは、日本についてからの時事問題について聞かれても答えられるように

近くの図書館にいき、新聞を毎日よんだり、テレビのニュースをチェックしたりして、試験当日を迎えました。

前日に、友人のTとともに下見に行っていたのでスムーズに着くことが出来ました。

 

試験会場は思いのほか広く、地上3階地下3階までありました。

そして、私は自分の受験票を持ち、自分の部屋、そして席の場所をチェックしました。

そしてまだ時間があったので緊張しないように、外の空気を吸いに外に出ると、

続々とほかの受験生が集まっていました。

中には日本に先に帰って夏は日本で勉強してた友人もいて、久しぶりの再会を果たしました。

しかし、気が付くと、周りにはすごい数の人がいて、こんなに受験するのかと驚きました。

私は今まで、帰国子女受験ってくらいだから、こじんまりとやるのかと思っていましたが、

すっごい、大々的にやってて、驚きました。

私の教室も戻ってみると、びっしり人が埋まっており、軽く、プレッシャーになりそうでしたが、

ラッキーなことに比較的前の方に座ることが出来、試験に集中することが出来ました。

 

時間割はまず、国語から始まり、英語、そして昼食を挟み小論文、数学(文系)といった感じで、

あさの9時から夕方6時までの、めちゃくちゃ長い試験でした。

最初の国語は、読解の問題や、漢字といったもので、まだ大丈夫でした、

次の英語はTOEFLと非常に酷似していて、短いreading から始まり、それが5,6続き、

その後にwritingの文法問題が20個ほど続き、最後に essayが出ました。

私はこのときに時間配分を少し間違えて大変なめに会いました。私はとりあえず、

readingで得点を稼ごうと思い、少し長くやってしまい、次のwriting でessay の時間を

稼がなくてはいけなくなり、あまり、慎重にやることが出来ませんでした。

 

その後に昼食があったのですが、午前中の試験で疲れすぎて、あまり食べられませんでしたが、

次の試験のことを考えて、食べました。

周りの受験生は思いのほか元気な人もいましたが、私はあまりエネルギーを消費しないように

あまり動きませんでした(笑)

そして次の小論文が始まりました。

小論文の試験では下書き用の紙と提出用の紙が渡されました。

私は、一応下書き用が渡されたので、とりあえずそれに書いていたのですが、時間が足りなくなると、

思い、下書きはやめて、その紙に書き始めました。結果として自分的にはまぁまぁだなって程度でした。

その試験のあとに友達と試験のことについて話そうと思い、話しかけたら、思いのほか暗くて、

理由を聞くと、下書きに時間をとられ、清書するときに時間がたりず、丁寧に書くことが出来なかったと、

いうことでした、そんな彼を見て私はかける言葉が見つかりませんでした。

 

彼はそのあと、数学を受けないとのことでそそくさと帰ってしまいましたが、私はその後に

数学があったので彼を見送り、自分の席にもどりました。数学の試験では、問題が計10問くらい

出ましたが、前半の半分くらいしか答えられませんでした。

後半は頑張りましたがおそらく、一問もあってなかったとおもいます。

最初の方は30分くらいでおわったのですが、そのあとの全然分からない問題に1時間近くも向き合い、

さすがに疲れました。

そして試験終了の合図があり、ふらっふらになりながら、帰路につきました。

 

早稲田の試験は私の場合二次試験がなく、共通試験だけでの選考となるので、面接の準備はいらず、

試験後の予定は慶應の結果次第でした、

9月7日に慶應の三田キャンパスで発表が、あるとのことで、朝の10時ごろに行って見ました、が、なんと、

人が全然いないじゃ、あーりませんか!

不安に思った私は直ちにその日の発表にくるであろう、某A君に連絡をとりました、すると

A「え、それ、午後からじゃねーの?」

私「・・・・・おーまいご!!!!!」

つーことで、完璧にやっちまいました。しかも発表は3時からとのこと、お昼を食べるにしても早いし、

家に帰って、またきても完璧におつりが来る感じだったので、とりあえず、帰ることに、

 

そして、2時になり、もう一度三田キャンパスに行くために、いざ出陣、今朝一回行った為か、

二回目は迷わずいくことが出来て、比較的早く着くことが出来ました。

そして、門のところに差し掛かったところに、私の他塾に行っている友人Yと遭遇、しかも、なんか、

親しげにほかの子としゃべってる様子、そこで私はぴーん!ときました。

つまり、そこにまずいるということは発表をすでに見たということで、しかも人と普通に話せるということは、

悲しくはないということです。

それらすべてを考慮すると、やつは、一次試験をパスした、ということ。

そこで、私は普通にしゃべりかけました、すると彼は思いのほか落ち込んだ風にしゃべりかけようとしてるけど

嬉しくて若干声が上ずった様子で答えてくれました。

 

私「おーYひさしぶりじゃん?結果もう見たの?」

Y「見た見た、総合政策落とされたの超意味分からないしー」

私「・・・・っへ・・・へー・・・・他のとこは受かったの??」

Y「経済と商学部だけ」

私の心(だけって!!だけってなんだよ、俺はそのどちらか一つ

あればいいんだよ!贅沢言いやがって)

 

まぁ、そんな思いで彼を後にして、私は掲示板のところを目指しました。

階段を上がり、右側のところにあることは午前中の調査で分かっていたので、まっすぐ行こうとすると、掲示板の周りには、すでにすごい人ごみが!

みんな受かっているのか、ケータイやデジカメで自分の番号を写して、喜んでいました。

それを見て私は段々と緊張してくるのが分かりました。

ここをまずパスせねばならず、一つも受かっていなかった場合はどうしよう、などと考えました。

私はとりあえず、知り合いをさがして、話そうとしました。

するとぱっと目に東洋14期生のホープ、羽毛田有美ちゃんが自分で取った写真を確認しているのがみえました。

私はすぐに彼女の元へ行き、ひさしぶりーって感じで話しかけました。

話をきくと、やはり、彼女は受かっていて、喜びがこちらまで伝わってくるようでした。

 

そして、私は意を決して、人ごみの中へ突っ込んでいきました。

 

慶應の受験票は一つの封筒に自分が受ける学部のはがきのような紙が入っていてそれに自分の受験番号が書いてあります。

それと実際に張ってある番号を見比べるわけですが、まず私は希望のすっごい薄い、法学部を見ました。

とりあえず、受験番号の下の桁が15だったのでそれを探しました。

 

「・・・・・・・・・・・11,12,13,14,・・・16」

 

え、えええええ、ええええええ、なんで15がねーんだよ!!!

何でそこスキップしちゃうんだよ!!!!

何度も何度も自分の番号と見比べますが、やはり、最初に見たとおり番号がない。

続けて、他の学部も見ていきますが、次々に連敗、意気消沈した私は、もう、その場にいたくなくなり、帰りました。

 

受かっているという仮定をたてて、スケジュールを組んでいた私は、何もすることがなくなり、

一気にやる気がなくなってしまいました。

次の発表は早稲田の商学部で、10日の午後インターネットで発表されるとのことで、その日を待つことになった。

しかし、結果として、早稲田商学部も落ちて、自分以外すべてのことがいやになりました。

なぜ自分だけ、こんなつらい思いをしているのだろう、とか、あのやろうたくさん受かりやがって!みたいな、

醜い感情が湧いてきて、なにをしても楽しくなくなりました。

早稲田の法学部が19日に発表され、そこではもう、期待もできませんでした。 結果として落ちてましたしね。

 

とりあえず、上智はまだ、試験も始まっておらず、希望はあるとのことで、上智への勉強に力を入れました。

試験内容は、小論文と面接で、午前中に小論を書き、それを午後から一人一人面接室に呼ばれ、面接が行われるといった形でした。

わたしは試験日当日、万全の準備をして、試験会場へ行ったつもりでした。

しかーーーし、電車の中で、時計を忘れたことに気が付きました。

時計といえば、小論をはじめとした試験において、絶対的に必要なアイテムであります。

まぁ、某Mくんは、「俺、体内時計で余裕だし」とか訳の分からないことを言っていましたが、私は時間配分を

きちんと考えて最低2回読み返しが出来ることをのぞんでいましたから、駅について、コンビニを探し回りました。

電気屋とかが、あれば非常によかったのですが、なんとその日は日曜にしかも早朝、開いているわけがありません。

セブンイレブン、AMPMといったコンビニを転々としますが、時計はどこも置いておらず、もうだめかと思ったそのとき、

サンクスを反対側の道に発見、最後の望みをかけて、そこへ行きました。

店内には、店員が一人で、飲み物を整理していました。

 

私は彼女に「ここに時計はありますか?」とどうせないんだろう的な感じで聞きました。

すると「ありますよ、お客さんの後ろの棚に」と何だこいつは?みたいな感じで返答しました。

私ははっと、後ろを振り向きました。

すると、あるじゃーありませんか!!漆黒をまとい、今にもカチカチと動き出しそうな時計が!!!!

まぁ、目覚まし時計だったのですが、この際四の五の言っている暇はないので、すぐに店員さんを呼びレジに通しました。

 

店員「お会計、1500円になります」

私「・・・・・・・・・・(゚д゚;)」

 

高くないですか?これ、いやぁ、どうみても百均とかでお目にかかるような商品なんですけど!!

とか思っていても、もうここは、しょうがない、買っちゃいましょう、って感じで買いました。

その後すぐ学校にもどり、自分の席を探しました。

受験票はその1週間くらいまえ、おじの家に届いていたので、それをもってきました。

 

そして、試験開始15分前になり、試験官のかたが教室に入ってきました。

手には今日われわれの人生が決まるであろう、何枚もの紙が入った袋をもっています。

じわじわと自分を含め周りの人も緊張してきているのがわかります。

試験用紙が配られ、私は、筆記用具と受験票、そしてさっき購入した1500円の目覚まし時計を机の上に置きました。

後ろから若干クスクスと聞こえてきたのは無視してあげよう。

それにしても、隣のやつからの凝視は一体なんだ!お前は目覚まし時計を見たことはないのか!お世話になったことはないのか!

まったく、非常識なやつらだなぁ、もう。

さて、そうこう考えているうちに、試験が始まりました。

 

国際関係法という、難しい学部だと考えていたのですが、なんとアメリカの国際的な問題、そして、日本との関連性などといった、

比較的分かりやすいテーマで、時間以内に仕上げることができました。

ちなみにその時間を確認できたのは先の目覚まし時計のおかげです、ありがたや。

 

そして、試験が終わり、昼食の時間が設けられ、私はたまたま同じ学部を受けていた友達と

小論のことについて語りながら、食堂へ赴きました。

知り合いとともに昼食を取り、面接に備え勉強している人や、久しぶりに知り合いと再会する人など、いろんな人がいました。

まぁ、そのなかで面接をすでに経験していた、YとUが面接中よりも待ち時間の方がきついよ、

ということを教えてくれて、余計に緊張してきました。

 

試験時間が迫り、ちらほらと、食堂から人が消え始めたので、私も友達とともに食堂を後にしました。

私は面接の試験が始まったとしても、一人ずつしか行えないから、結構また勉強できるだろうなぁ、と思っていましたが、

番号が発表されると、なんと自分は3番目という、なんとも早い順番であり、自分があると仮定していた

勉強の時間がなくなってしまいました。

しかし、ここであきらめる直生君ではありませんでした。

面接で最も肝となるのは、志望動機です。

そこでどれだけ、面接官の記憶に残ることを言えるかで決まると思ったからです。

そう思い立った私は、即座に同じ学部を受けている友達の席に行き、自分の志望動機を聞いてもらい、

少しでも良くしようと心がけました。

彼が私に言ってくれたのは、1.なんか長い、2.分かりにくい、3.暗い、ということでした。

とりあえず、長いといわれたものを、大事なところだけ、先に言うようにして、面接官に聞きたくなるようにしました。

分かりにくいといわれたところは、思い切って、省きました(笑)

そしてしゃべり方が暗いといわれたので、とりあえず、自信を持ってかつ謙虚にしゃべるように心がけました。

 

私のテンパリが大方、おさまりかけたときに、私の受験番号がよばれ、面接室の前で待機するように言われました。

そのときから、だんだん自分の心臓の音が大きくなり始めました。

バックン、バックンと今までにこんな大きく聞こえたことがあっただろうか、とくらいに大きくなりはじめ、とりあえず、

自分の頭の中で、これ言われたら、これ言って、あれ言われたら、こう言って、みたいなことを無限にループしました。

 

しかし、時間とはとても残酷なもので、まだ十分に考えれていないのに、「はい、じゃー次の人、はいってくださーい」と私を呼ぶ声が!、

 

とりあえず、セオリーどおりに面接室に入りました

1、3回ノックする

2、「失礼します」っていう

3、どうぞ、といわれたら戸をあけます。

4、面接官の顔を見て、よろしくお願いしますとはっきり言う

5、自分用の椅子の斜め後ろに立ち、どうぞ、といわれたら座る

 

面接官の方は2人いて、一人はお茶の水博士みたいなはきはきとしたおっさんで、もう一人はお茶の水より若干偉いのか

仰け反って座っている、見た目はドラマの医龍に出てきたなんか院長っぽい人に似ていました。

そして、とうとう面接が始まりました。それを出来るだけ再現したいと思います。

 

お茶「えぇ、じゃぁ、とりあえず、定番ですが志望動機について、お願いできま

すか?」

俺「はい、私は今日、世界中で対立している、国々であったり、諸宗教の紛争や

争い、等を平和的に解決できる方法を求め、こちらの国際関係法学科に志望

させていただきました」

お茶「へぇ・・・・・・そうですか、出来ればもっと、具体的にお話できます

か?」

 

このとき私は心の中でひそかにガッツポーズを、いわゆるサッカー選手がゴール入れたときのすっげー嬉しそうなガッツポーズを作っていました。

なぜなら、さっき長すぎると、友達に言われたところが、まさに具体例であったからです。

 

俺「えっと、昨年WCRPという世界中から様々な宗教があつまり平和について

会議をする大会に私の英語能力を買われボランティアとして参加させていた

だいたのですが、その際に、私の中では宗教同士、といったものは異なった

対象を崇拝しており、分かり合えることはできない、と思っていたのですが、

実際に様々な背景を持った人たちが平和という世界中で人々が願っている目

標について真剣に論じ合っているのを見て、感激いたしまして、自分も将来

そういった、ことを行えるようになっていきたいとおもったからです。」

 

この理由は前々から、松村先生と面接で使えるのではないかと、暖めていたネタで、まぁ三割り増しくらいで話しました(笑)

ばれなきゃいいんだよ、ばれなきゃ(笑)

 

院長「その大会には、どういった人が来るの?結構えらい人とかも来るの?」

俺(っへっへっへ、そうくるだろうと思ってちゃんと名前を暗記してきてるぜ)

「そうですね、国内であれば天台宗の○○さん、△△宗の◇◇さん、海外からで

すとヨルダンのハッサン王子であったり、ローマ法王から言伝が届いたり、マ

ハトマガンジーさんの孫娘であるエラガンジーさんなどがいらっしゃっていま

した、あ、そうそう、あと国内から当時首相だった、元首相の小泉さん(一週

間前に安倍さんが辞任したので前ではなく元)もいらっしゃっていました」

院長「へぇ、じゃー君は小泉さんとかの通訳とかやったのかね?」

俺「いえ、私はプロの通訳ではありませんし、お話する機会もありませんでした

から(笑)」

 

なーんか良い雰囲気じゃない???とか心の中では思いながらも、まだ始まったばかりなので気は抜けません

 

お茶「それじゃぁ、今回の小論文について聞きますね、今回の小論文は日本とア

メリカを比較するといったような内容でしたが、やはり、君はアメリカに

結構長く住んでいたし、そういう点では他の人たちより、有利だった、と

か思った?」

俺「いえいえ、そんなことはありません、確かに私はアメリカに長く住んでまし

たが、それはアメリカの中からの意見です。少し離れたところから見ていた人

の方が逆に客観的になるということもありますから、結構公平だったとおもい

ます」

院長「ふーん、君はアメリカで新聞とかを読んでいたかね?」

俺「はい、父がLATIMESという地元の新聞をとってくれていたので、読むこと

が出来ました」

院長「あれでしょ?あっちの新聞はこっちのこと、政治的なことについてあまり

報じないでしょう?」

俺「(確かにそうだな、ってかこの質問は予想外だ、とりあえずぼろはださない

ようにしなくちゃ)そう・・ですね、自民党の歴史的大敗などはニュースでも

あまりみませんでしたね、尼崎で起こったような事故や、新潟あたりの地震と

いった震災等はよく報道されていましたが」

院長「(お茶の水に対し)ほらね、あっちの新聞ってこうなのだよ、(俺のほう

を向き)逆に日本の新聞は結構国際的なことがらも多い新聞って言われている

んだよ」

俺「たしかに、新聞の国際欄も2、3ページびっしり埋まっていますしね」(ここら辺は何聞かれてもおk、だった、なぜならその前日まで毎日図書館に通い新聞を読みあさっていたからだ!)

院長「じゃぁ、きみの知っている範囲で、一番印象に残っている日本の時事問題

は何かね?」

俺「・・・・・・・・・・・・そぅでっすねぇ・・・・」

 

まずった!!!!!ネタがない、頭に浮かんだのは最近のことばかりで(その時は安倍さんの辞任問題、テロ特措法

、新総裁、などビッグな時事問題が多くそれらに気をとられていた私は、何も浮かばなかった)

 

お茶「まぁ、ないならないでいいよ、そうだなぁ、君はボランティアのほかにな

にか課外活動とかしていた?」

 

ナイス、御茶ノ水!!うまい具合に次の話題に移ったよ!まぁさっきのはしょうがないから、次で挽回だ

 

俺「そうですねぇ・・地域というか、近所の人たちとの交流を深めるためによく

うちでホームパーティなどを行いました(こんなこと考えてもいなかったがと

っさに口から出てしまった)」

院長「へぇそう・・・・ふーーん」

お茶「なるほどねぇ、・・・・」

院長「じゃぁ、君もういいよ」

俺「(え!もういいの??早くね??)あ、ありがとうございました。(頭を下

げる)」

 

ってな感じだったと思います。

結果的に試験時間は10分弱だったかも、そんで、それから私のスケジュール的には試験はなく残すところ、

合格発表3つ(早稲田政経、社学、上智法)を控えているだけでした。

しかし、未だ一つも行き先が決まってないので安心することは出来ず、もしダメだったときのためにまだ出願可能な立教や、

法政などについても考えなくてはなりませんでした。

それらの願書も用意し、まさか、の時に備えておきました。

そして27日に早稲田政経の発表がありました、なんだかもう、そのときには正直高望みでもあったので、

半分というか9割がたあきらめていました。

そして次の日28日、姉があまりテンションの高くない私を誘ってなぜか昼食を食べる羽目に。

席にすわり発表の時間になったので、ケータイで早稲田のサイトにアクセスしました。

しかし私はそのページを開くのがとても怖くなりました。

社会科学は他の学部と比べて受かりやすく、人気もあまりない、ということをかんがえてもみましたが、やはり、怖いものは怖い。

そのとき姉がおもむろに私のケータイをつかみ、何番?とかダイレクトにきいてきました。

これであれば、私的にもぎりぎりまでなんとかなるなぁ、と思ったのですが、今思うとあまり変わらない気もするな(笑)

さて、それで私は半分ずつ、切っていきました、こっからここある?、見たいな感じで聞いて、そして最後に10の桁まで行ったときに、

二つあると、いわれました。

 

 

私は意を決して番号を見ました、するとそこには私の受験番号が!!!!

 

 

なんだかただの番号なのにすごい輝いて見えるのはなんででしょう!!!!

 

 

なんてゆーか、嬉しいっていうよりかは、安心しました。

そして早速アメリカにいる家族にメールして、俺を心配してくれた人たちに電話しまくりました。

皆とても喜んでくれて、本当に嬉しかったです。

 

結果として上智にも受かることが出来ましたがやっぱり、一つ受かっているという強みがあるので、

発表を見るときも落ち着いて見れました。

っていうか逆にびっくりしました。

なんで受かっているの??見たいな感じで、その後は銀行にいって、早速、入学金と前期分の授業料を払いました、

そのあとはもう、何も気にしなくてよくなったので、お土産を買いにいったりとか、

暇な友達を見つけては遊びに夜な夜な出かけました(笑)

全体として良い経験をつむことが出来たとは思います。

 

が、やはり、話を聞く限りでは統一試験の点数が高いほうが受かりやすいことに変わりはなく、点数はできるだけ高いほうがいいと思います。